いまの日本は、大切な人が亡くなったからといって、「殉死」するような社会ではないはずです。
でも、被害者に対しても「みんなが望む、完璧な被害者」であることを求める風潮があるんですよね。
こんな、誰がどうみても「本村さん一家が一方的な被害者であった事件」でさえ、「被害者の落ち度」を探す人がいたり、「被害者は被害者らしく、ずっと不幸を噛みしめ、しおらしく生活する」ことが望まれてしまう。
僕の中にも、そういう「期待」があったことを、今回、あらためて思い知らされました。
本村さんの再婚に対する一部からの「反応」をみて、本村さんが、再婚を2年間「言わなかった」のか、それとも「言えなかったのか」考えてみると、日本は、犯罪「被害者」が人生を取り戻そうとすることに冷淡な国なのではないか、という気がしてなりません。
「被害を受けること」そして、「みんなが期待している被害者であり続けること」。
「犯罪が起こった時点で、皆、敗者」
「皆」のなかには、本村さん自身も、そしてたぶん僕たちも含まれているはずです。
☆不幸な人が不幸じゃないと怒り出すんだよな。たぬきちの時とかもそう。